日々雑記 第2話

ほめたくない話


「見てくださいよ、これ。私が作ったんです。この罫の二重線を引くのも一苦労で。会社なんて冷たいもんですよ。 たった一度の研修で後はほったらかし。で、頑張りましたよ」
にこにこと汗の浮いた額を拭きながら、でかい顔のおじさんは言う。営業さんである。
私の勤める店に、品物を置いて欲しいという目的の元に、ここにいる。
その品目については、取り扱いの有無もその数も、私に一任されているから、おじさんは一回り以上年下の私にも、
敬語を使い、愛想笑いもする。
仕事だからそれは当たり前のことだ。
私だって同じ立場ならそうするだろう。
 おじさんがさっきから私に向かって見せているのは、来月発売する商品の説明書きである。
だが、彼が私に話すのは、商品説明ではなく、その書類そのもの、紙切れに印字された、文字と書式である。
おそらく市販のパソコン用ワープロソフトで作成されたそれは、ごくありふれた書類でしかない。
だが彼にとっては、生まれて初めて触った機械(パソコン)で作った、努力の結晶なのだろう。
気持ちはわかる。私も未だに使いこなせているとは言い難い。
親切すぎるウィザードで、逆に謎をかけられたり、迷路にはまったり。
ただ文章を書きたいだけなのに、どうしてこんなに悩まなくてはならないのか、時々本当に腹立たしい。
Macならシンプルテキストで何とかなるが、仕事場のWindowsでそれに当たるものがなんなのかはわからない。
ワードは入っているけど、使いづらいのだ。(教本を読んでみたらあらかたの問題はどうにかなるのだけど、その手間が面倒臭い。)
 「パソコンにも触ったことがない。ソフト、ハードって、柔らかいと硬いじゃないのか?」
おじさんのそういう気持ちも結構わかる。
でも、それとこれとは話が別である。
仕事中にアポなしでやってきて、営業するのはまあ、仕方ない。
私はそんなに偉い立場の人間じゃないからね。
しかし、商品説明ならまだしも、おじさん個人の苦労話(という程のものでもないと、私は思っている)に
だらだらと付き合っていられる程ひまでもない。
ここで私が「そうなんですか。大変ですね、すごくいい出来ですよ、この書類」
と言ってあげれば簡単なのはわかる。
要するに、誉めて欲しいわけでしょう。誰も誉めてくれないから、アピールしたいんでしょう。
そりゃ、そんな当たり前のことで誰がわざわざ賞賛するかと言うのだ。甘えるんじゃない。
書類を手書きで作ろうが、パソコンで作ろうがその人の自由だろう。
でも、見栄えやら効率やらで、新しい方法を取り入れていかなくてはならないのは、どこの業界だって同じじゃないのか?
そして、新しいスキルを身につけるのは自分の為じゃないのか?
私は、自分の質の向上とか、高尚なことを言っているのじゃあない。
「そうしないと、まわりに馬鹿にされる。馬鹿にされたくないから」とか
「リストラ候補に挙がるわけにはいかないから」とか言う理由でいいと思う。
理由はどうであれ、やるべき努力をやっているのだから問題なかろう。
ただその見返りを見当はずれな所に求めてこないで欲しい。
そんな、やって当然の努力を誉めて欲しいなら、女房の所にいけばいい。できた人ならば、ちゃんと
「いい子いい子」してくれるだろう。
もしくは同じ立場で苦労しているおじさん同士、会社に対するくだをまきながら、言い合えばよろしい。
心から共感してくれるだろう。それを何故、営業先にきて、他にも仕事を抱えた私に求めるのか!?
私は心の狭い人間なので、自分の男以外に、そんなサービスはしたくない。したくないったらしたくない。
「いいじゃないですか、一回だけでも研修があって。うちはそんなもの、全くありません。仕方ないから私、
ワードもエクセルも独学です」
検定受けるとか、資格とるとかだと、スクールに行く方が早道なんだろうけど、そうでもなかったらこの二つって
独学で十分だろう。私は事務職でもないし。(困ったら教本を開くか、資格持ちの友人に聞くのだ)
どんなに粘っても、私から賞賛の言葉が出てこないとおじさんが分かるまで、
30分はかかったかと思う。(私もいい加減意固地だ)
そこでやっと、自分が場違いなことを言い続けていたことに気付いたのか(もしかしたら時間が無駄に過ぎていることに
気付いたのかも)おじさんはようやく、商品の説明に入った。商品の説明は5分とかからなかった。
 帰宅して、だんなに、ぷりぷりしながらそれを話すと、彼はあっさりと言った。「それは君が女性だからだ。
もし君が男なら、そのおじさんもそんな話を延々とはしないよ」
またそれだ。 結局、私のストレスってそこかい!

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